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横浜地方裁判所 昭和55年(ワ)40号 判決

原告

月岡慎一

原告

月岡道隆

右両名訴訟代理人

西川茂

山口央

松本和英

被告

宇野昭遠

右訴訟代理人

藤井暹

西川紀男

橋本正勝

太田真人

主文

一  被告は、原告月岡慎一に対し、金六〇万円及び内金五〇万円に対する昭和五五年二月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告月岡慎一のその余の請求及び原告月岡道隆の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告月岡慎一に生じた費用の二分の一と被告に生じた費用の四分の一は原告月岡慎一の負担とし、原告月岡道隆に生じた費用の全部と被告に生じた費用の二分の一は原告月岡道隆の負担とし、その余の費用は被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一当事者について

原告慎一が昭和一八年五月一七日生まれの男性であること及び被告が医師であり、肩書住所地に被告医院を開設し、一般診療にあたつていることは、当事者間に争いがない。

〈証拠〉によれば、原告慎一は、兄である原告道隆が昭和五二年一〇月に開店し、経営している青果店に、右開店以来、店員として勤務していることが認められる。

〈証拠〉によれば、被告は、岡山医科大学医学部を卒業して昭和三四年八月に医師免許を取得し、小児科医師として一八年ほど病院に勤務した後、昭和五二年一一月に被告医院を開設したこと、診療科目として小児科、専門科目として小児科、胃腸科、アレルギー科を掲げていること、虫垂炎手術の経験はなく、虫垂炎と診断した場合は外科医に転医していることが認められる。

二診療の経過等の事実経過について

原告慎一が昭和五四年三月二七日、二九日、四月二日、六日、七日に被告医院で被告の診療を受けたこと、四月七日に被告の紹介で座間中央病院に入院したことは、当事者間に争いがない。

〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。

原告慎一は、昭和五四年三月二七日午前二時ころ、胃に激痛を覚え、更に、吐気及び腹痛があつたので、午前九時ころ、被告医院で被告の診察を受けた。被告の問診に対し、原告慎一は、四日前から心窩下部痛があり、下痢を伴つていること、前夜は腹痛があり、また吐気があつて一回嘔吐したこと、当日は軽度の熱感がある旨訴えた。被告の診察によると、原告慎一の症状は、咽頭発赤が軽度にあり、舌苔がわずかに白くなつており、胸部に異常なく、腹部は平担で軟らかく、心窩下部に圧痛があつた。検尿をし、その結果は、蛋白が陽性、ウロビリノーゲン陽性、ケトン体陽性であつた。以上から、被告は、上気道炎、嘔吐を含む胃腸炎と一応診断したが、以後の経過を観察することとし、胃の機能を正常化させるための生理食塩液及びプリンペラン注射液、鎮痛剤であるコリオパン注射液、吐気を止めるためのアトモラン注射液を注射し、抗炎症剤であるトランサミンカプセル及びテルペラン錠、鎮痛剤であるビストカイン錠、吐気を止めるためのヒドラチオン錠を内服薬として各二日分与え、腹部を暖めるよう指示した。右診療後、原告慎一は帰宅したが、腹痛が止まらないため、午後六時すぎころ、母親がその旨被告に電話し、被告は薬を飲んでようすを見るよう指示した。

原告慎一は、次は三月二九日に被告の診察を受け、便は固まつたが、腹痛がときどきある旨訴えた。症状は、咽頭発赤はそれほどでもないが、軽い舌苔があり、また腹部(臍のやや右寄りのところ)及び心窩下部に圧痛が認められた。被告は、膵臓炎を疑い、尿のアミラーゼ検査をした。また、トランサミンカプセル、テルペラン錠、コリオパンカプセルを各四日分投与した。

更に、四月二日、原告慎一は被告の診察を受け、便は普通だが、腹部に膨満感がある旨訴えた。症状は、咽頭発赤がごく軽度で、舌苔がわずかにあり、腹部は平担で、臍の右と左のやや上に圧痛が認められた。被告は膵臓炎の疑いを強め、その旨原告慎一に告げた。トランサミンカプセル、コリオパンカプセル、ゴスベールBを各四日分投与した。

次に、四月六日、原告慎一は被告医院で診察を受け、便に異常はないが、四月四日から腹痛がある旨訴えた。症状は、咽頭発赤が強くみられたが、舌苔は軽度で、心窩下部及び臍の右に圧痛があつた。被告は、臍の右側の圧痛について、四月二日のときよりやや右よりになつたが、明らかな回盲部への移行ではないと判断した。尿検査の結果は、蛋白陽性、アセトン体陰性であつた。被告は、胃潰瘍の疑いをもち、抗生物質であるラレキシンカプセルのほか、コリオパンカプセル、プロミド錠、パドリン錠を投与し、またプリンペラン注射液などを注射した。

(なお、被告は、右三月二七日から四月六日までの診療において、血液検査、レントゲン検査は行なつていない。)

ところが、四月七日になつても腹痛が続いたため、原告慎一は、翌八日が休診日である日曜日であることを考え、体力の限界を感じるとともに、被告の診断に疑問を抱いていたため、東京都目黒区に住んでいたころかかりつけであつた五百蔵医院に赴き診察を受けたところ、虫垂炎で急性腹膜炎を起こしている旨診断され、直ちに手術を受けるようにと指示された。そこで、原告慎一は、職場近くの病院をいくつか捜したが入院できるところがないため、結局、被告病院に赴き、他の医院で虫垂炎と診断された旨告げた。被告が診察すると、症状は、咽頭発赤、舌苔は軽度で、腹部平担であり、マックバーネ及びランツ氏点に圧痛がみられ、筋性防禦が認められた。そこで被告は虫垂炎であると診断し、座間中央病院を紹介した。

原告慎一は、同日、直ちに同病院に入院し、ここでも急性虫垂炎と診断され、三枝光夫医師の執刀により手術を受けた(以下「本件手術」という。)。手術診断は急性虫垂炎(穿孔性)、腹膜炎で、手術方式は虫垂切除術であつた。また、切除した虫垂の組織検査によると、その組織学的診断は壊疽性虫垂炎で、虫垂は、全層が壊死し、ところどころに正常な組織が残つているだけで、限局性腹膜炎を起こしているというものであつた。

原告慎一は、右手術後、引き続き五月二日まで座間中央病院に入院し、退院後は、五月末まで自宅で静養し、六月一日から職場に復帰し、七月からは自動車を運転して市場に行けるようになつた。

しかし、その後、原告慎一は、腹膜炎手術の後遺症である腹部瘢痕ヘルニアにより座間中央病院などで診察を受け、更に、北里大学病院で右ヘルニアの手術を受け、同病院に昭和五七年八月二〇日から九月二七日まで入院した。

以上の事実が認められ〈る。〉

三被告の責任について

1  原告慎一が被告による前記各診断時(三月二七日、二九日、四月二日、六日)において既に虫垂炎に罹患していたかどうかについて、まず検討する。

〈証拠〉によれば、

(一)  原告慎一の症状からは、三月二七日から四月六日までのいずれの時点についても、虫垂炎を疑うことが可能であるが、同時に、他の疾患を疑うことも可能であつて、鑑別検査を行なわずに右症状だけで虫垂炎であると確定診断することはできないこと、

(二)  症状として、圧痛の回盲部への限局、腹壁の筋性防禦があれば虫垂炎と診断できるが、虫垂炎に罹患したからといつて直ちに右症状が現われるわけではないこと、

(三)  原告が罹患したのは壊疽性虫垂炎であるが、この型の虫垂炎は、普通、心窩下部痛などの初発症状が出てから一二ないし四八時間程度経過すれば、虫垂が穿孔してくること、

(四)  他の疾患から虫垂炎に移行し、又は他の疾患に合併して虫垂炎が発生する可能性が十分にあること、

が認められ、更に、〈証拠〉によると、

(五)  同証人は、昭和四四年以来、消化器外科を専門とする医師として一五〇〇例ほどの虫垂炎手術をした経験があり、その経験により、三月七日に原告慎一の手術をした際、穿孔性腹膜炎を起こして膿がたまつていたという状態をみて、虫垂炎の初発はその二日ほど前であると判断したこと

が認められる。

以上の事実から判断すると、原告慎一は、三月二七日、二九日、四月二日の各時点においては虫垂炎以外の他の疾患にかかつていたとの疑いを払拭しえず、虫垂炎に罹患していたと認めるわけにはいかないが、遅くとも四月六日には虫垂炎に罹患していたと認めるのが相当である。

2  そうすると、原告らが主張する被告の過失のうち、三月二七日、二九日、四月二日の診療における過失は、その余の点を判断するまでもなく理由がない。

3  そこで、四月六日の診療における被告の過失について検討する。

〈証拠〉によれば、

(一)  原告慎一の四月六日における症状は、虫垂炎を疑わしめるものではあるが、圧痛の回盲部への限局や筋性防禦があるわけではないから、右症状だけから虫垂炎と診断することはできないこと、

(二)  しかし、右疑いのもとに十分な触診を行なうほか、レントゲン検査、血液検査等の鑑別検査を実施することによつて虫垂炎と診断することは可能であること、

(三)  他方、圧痛の回盲部限局、筋性防禦は、虫垂炎の初期にはみられず、発症後ある程度時間が経過してから認められうる(ないこともある)こと、

(四)  虫垂炎のうち壊疽性のものは、短時間のうちに穿孔が始まり、腹膜炎へと進展する(時間の経過とともに悪化する一方である)こと、

(五)  穿孔が起きる前に手術すれば腹膜炎は防げるが、腹膜炎になつてから手術しても、ヘルニアなどの合併症が生じやすく、ヘルニアの場合、手術の必要がありうること

が認められる。

以上の事実から判断すると、被告は、原告慎一の四月六日の症状(とくに腹痛が続いていたこと、臍の右側の圧痛がやや右寄りに移動していたことなど。)から虫垂炎の可能性を強く疑うべきであり、右疑いのもとに触診等を十分に行なうことのほか、腹部レントゲン検査、血液検査等の鑑別検査を行なつて虫垂炎であるか否かの確認をする(設備等の理由から右検査を十分にはできない場合や確認が困難なときは、状況によつては転医をするなどして他の医師の協力を求める)べき注意義務があつたにもかかわらずこれを怠つた過失があるといわざるをえない。

四損害について

1  原告らは、入院治療費等について本件手術によるもの全部を損害として請求しているけれども、証人三枝光夫の証言によれば、原告慎一が罹患したのは壊疽性虫垂炎であり、早期に虫垂炎との診断がなされても、いずれ手術は不可避であつたことが認められ、従つて、被告がたとえ四月六日に虫垂炎と診断していても、原告慎一は虫垂炎手術を受けざるをえなかつたと考えられるから、本件手術による全損害を求めることは相当でない。

2  そこで、被告に四月六日の過失がなければ、虫垂が穿孔を起こし腹膜炎を併発する前に手術が可能であつたかについて検討する。

前記認定のとおり、虫垂炎発病から一二ないし四八時間経過後に穿孔が生じるとされているから、四月五日ころ発病した原告慎一の虫垂炎については、早ければ四月五日から、遅ければ四月七日になつてから穿孔を生じたということになる。

他方、被告が四月六日の診察において虫垂炎を疑い鑑別検査をし、その結果から虫垂炎と診断し、転医して手術がなされたとして、その手術は早くても四月六日から七日にかけてであろうと考えられる。

そうすると、被告の過失がなかつたとしても、原告慎一が虫垂に穿孔を生じて腹膜炎になる前に手術がなされたものと認めるわけにはいかない。

3  しかし、仮に穿孔後であつたとしても、前記認定のとおり壊疽性虫垂炎は時間の経過とともに悪化し重症になつていくのが通例であるから、被告が四月六日に虫垂炎を疑つて鑑別検査を行ない虫垂炎と診断していれば、原告慎一は、少くとも本件手術における症状よりも軽い症状のうちに手術を受けることが可能であつたといえる。この差異が、被告がその過失の故に負担すべき損害である。

4 しかしながら、被告の過失がなければ原告慎一が本件手術におけるよりも軽い症状のうちに手術を受けえたとしても、具体的に本件手術後の入院日数のうち何日分が、あるいは休業日数のうち何日分が被告の過失によるものかは明らかでないといわざるをえない。そうすると、原告らが請求する損害賠償請求のうち財産的損害(但し弁護士費用は除く。)については、これを具体的に数額化することが困難であり認めるわけにはいかない。(後述するように慰謝料認定に際し、事情として考慮する。)

5 他方、精神的損害は裁量によつて数額化するものであるから、原告慎一が請求する慰謝料について検討すると、原告慎一が本件手術におけるよりも軽い症状で手術を受けられたとすれば、その手術じたいの及び手術前後の苦痛などは本件手術におけるものより小さいものであつただろうといえるのは当然であるし、被告に過失がなければ、原告慎一が四月六日から七日にかけて不安な時間をすごし、また他の医師に診断を求めざるをえないというようなこともなかつたはずである。これらの事情のほか、更に、財産的損害を数額として明らかにしえないことをも考慮にいれると、原告慎一の慰謝料は、金五〇万円が相当である。

6  弁護士費用について検討すると、〈証拠〉によれば、原告慎一が本件について訴訟前に話し合いによる解決を申し入れたのに対し、被告が自らも、また所属医師会を通じても、話し合いによる解決に十分な努力をしなかつたため、本訴提起に至つたものと認められ、右事情のほか、本件事案の難易、認容額を考慮すれば、被告の過失による損害としての弁護士費用は、原告慎一について金一〇万円を認めるのが相当であり、原告道隆については認められない。

五結論〈省略〉

(高橋久雄 林泰民 小林昭彦)

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